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お掃除のKIS >> スタッフ紹介 >> ホッと一息?一色家のページ |
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1974年12月、私一色義雄はこの世に生を受けました。(1974年はどんな年?)![]() 大病は無かったものの、幼い頃の僕は体は決して丈夫でなく、よく吐いたり病気がちだったと母から聞いています。父はこの仕事、母は小さな食堂、と共に朝から晩(時には晩から朝)まで働いていたので、おばあちゃんがよく面倒を見てくれました。そんな僕が寝る時、はしか等病気で苦しかった時に歌ってくれた子守唄は、今も少しだけ耳に残っています。「ねんねーん、ころーりーよ...」って。 小学校入学時で身長99cm。 周りからはランドセルが"登山リュック"のように見えていたらしく。3年生のときに初恋。相手を見るだけで、胸が苦くなったのを今でも覚えています。ちなみに初恋の相手は、ほどなく転校。悲しさよりも、あっけにとられました。 帰宅してからの僕は、都会ではもう今は珍しい風景でしょう、上は中学生から下は幼稚園までの近所の子達と缶蹴り、ベッタン(めんこ)をしたり、当てもの屋(駄菓子屋)に通ったりして過ごしました。ちなみに、1千枚近く集めたべったんも駄菓子屋も、今はもうありません。 母親が教育熱心だった?ので、習字は特待生(が現在は影も無い)、計算を間違うとゲンコツで頭をゴーン(今考えると愛のムチ、でも本当に痛い)先生のおかげで、5年生で「そろばん検定:暗算」で1級(=5桁の暗算だったような..)を取得(3桁の足し算なら今でも…)。4年生で引越、転校、今も続く友人に恵まれ、卒業。(1986年はどんな年?) 中学生の頃の僕は、一日中ファミコン。部活のサッカーも2年で退部。 ドラゴンクエストというゲームは親の目を盗んでやるほど熱中(同世代の男性はみなそうでは?)。つまり、ファミコン>女の子(恋)。(1989年はどんな年?) 高校の頃。部活は3年間テニス部。「英・社」が得意。アルバイトは郵便配達、喫茶店やうどん屋の厨房、ホール接客のバイトなどを経験。(16〜18歳)この頃に出会う大人の人には、怖さにも似た、でも新鮮な刺激を感じていました。その日の売上で機嫌が変動する店長さんを1年半見続けて、僕が初めて知った「現実の厳しさ」「社会人」の意味。そして今だからわかる「愛情のこもった」罵声の中、仕事に対する姿勢をミッチリ叩きこまれました。気づくのが遅くなりましたが、本当にありがとうございました。(若い皆さんへ:厨房のバイトはお奨めします。自分で料理を作ることができるだけでなく、「味覚」は勿論、「嗅覚・視覚」バランスと、厨房内の暑さに耐える体力もつきます。) 大学へ入学した頃は、高校の頃得意だった「英語」の教師を目指す。資格を取れる位置まで来て「資格取ったからって、なんだろう、本当に教師になりたいのか」と約半年間考え込む。二十歳をとうに過ぎた僕は、考えたくなくてもいよいよ考えないといけない「将来」に随分悩みました。結果、卒業と同時に父が始めたこの仕事、KISグループ社に入社。(1997年はどんな年?) 98年10月(社会人ほやほや)、知人からのお誘いがきっかけで、パソコンに生まれて初めて接触。翌月、KISグループ社のホームページを開設。お世話になりっぱなしの知人、友人、アドバイスを頂くお客様、みなさんに支えられ、様々なメディアさんにも紹介され始め、これからが本当のスタートだと思っています(99年9月現在) 自分が歩んだ今までの軌跡をたまには思い起こし、初心を大切に立派な大人になってゆこうと思います。ネット社会だけでなく、勿論、一般社会でも、自分の仕事を通じて、喜んでもらうことがみなさんへの恩返しのささやかな一つだと思っています。 またそれが、自分にとっても嬉しいことですが。 ![]() とある現場からの帰り道、雨上がりの虹が見えました。この時感じた新鮮な気分を忘れずに毎日頑張りたいものです。 ![]() 25歳になりました。(1999.12.19) 大阪はさわやから朝焼けで一日がスタートし、私は友人や当サイト、マガジンを見ていただいている皆様からのおめでとうメールに感激し、25歳のスタートを力強く踏み出すことが出来ました。みなさん、本当にありがとうございます。そんな今日もいつもと変わらず、守口・八雲東町で大手電気メーカーの床洗浄&WAX掛け、エアコン・照明器具などの清掃に行ってきます。 昨夜、妻から誕生日プレゼントを貰いました。それは私の青春時代のすべてを彩ってくれたロックグループ「T-BOLAN」というバンドが今月解散するに当たっての限定ビデオでした。こんなものどこで手に入れたんだと、心の中で泣きました。自分の誕生日の月に、自分が一番好きだったバンドが解散。何もかも青春が終わったような言い方(^_^;)ですが、何かが吹っ切れ、 また一歩大人へと近づいたのでしょう。大人になりたくない!と言い続けて来た自分を見つめ直すよい誕生日になりそうです。これからも、みなさんに支えられて頑張っていこうと思います。どうぞ暖かく見守ってください 第一子、男の子が誕生しました。(2000.12.23) フゥー・・・ひとまず母体、赤ん坊ともに、無事で何よりです。一度抱き上げただけでは、正直、実感までは沸きませんが、 私の人生の中で、大きな節目になったことには間違いありません。 むむむ、それにしても、未だかつて無いほどの忙しさの中での誕生。これからもキミの誕生日、父は年末の掃除で忙しく走り回るのでしょう。本当に、おめでとう、よく生まれてきてくれました。ありがとう。 ![]() ![]() ↑から1年。陽太が1歳の誕生日。僕は27歳に。(2001.12.23) 元気な産声をあげてからちょうど1年。陽太がカゼをこじらせて10日間の入院等、色々と親子で勉強した1年でした。まだ歩行も4,5歩程度で、言葉も「まんま」「う〜」だけです(この先大丈夫か)一緒に風呂に入れるのは週に2,3回。(申し訳ない)毎年ながら、年末お掃除シーズンで、日々忙しく本当にありがたいことです。 僕は27歳になり、シゴトは色々と毎日勉強&充実しましたが、プライベートが???な1年だった。 つまり、おじさん化しはじめているらしく。CDなんてこの1年、1枚も買っていない。威張れるのは大阪ドームのGLAYライブのみ(・・・友人の誘いで)数万円の思い切った食事も無ければ、自分から進んで買った服もなし。 0歳児のいた家庭で忙しいとはいえ、ううむ、これではダメだ。来年は色々なことに「楽しく」&「上手く」お金を使える人間になろう。それが「大人」でしょうしね・・・ さて2002年はどんな1年になるのか、みなさんはいかがでしょう。どうぞ良いお年を! ![]() ![]() ↑から1年4ヶ月。陽太は2歳、僕は28歳。(2003.4.5) なんてことだ。 >さて2002年はどんな1年になるのか もう今年に入って4ヶ月も経ってます。 しかも、近々、第2子が生まれます。 (男女どちらかは知りませんが) となると映画「クレイマークレイマー」のような?、陽太との二人生活が10日ほど続く。 ・・・不安だ。 オムツを替えたことはあるが・・・頑張らねば・・・ 今はそんな状況なわけです。 ![]() ↑長女誕生。からもうすぐ1ヶ月、僕は28歳。(2003.4.30) ![]() 陽太との約10日間の「クレイマークレイマー」な生活は無事終わりました。 この期間では次のようなことを経験・勉強しました。 ・一番気が重かったこと →毎朝一番に保育所へ送る準備(=朝ごはんの支度から着替えの用意、毎日の連絡帳記入などの雑務を完璧にこなすこと) ・一番つらかったこと →朝一に登園→陽太の友達がいない、独り砂遊びをする姿を振り返って見て感じました ・一番嬉しかったこと →朝4時半に起きてつくった玉子焼きを全部食べてくれたこと ・この期間で自分の一番の変化 →子育てを全て母任せにすることは、実は「もったいないことかな?」とふと思ったこと 上の過去の日記(年記?)を読んでいるといかに子どもの成長が早いかが身にしみてわかります、本当に「今」しかできない子どもとのふれあいは、本来楽しいものだということに気づいた一色でした(嫁さんは「したり顔」ですけどね) ![]() そして4/10、長女が無事産まれました。「陽菜−ひな」って嫁さんが名づけました。2000グラムちょっとの生まれたての陽菜を病院で抱きかかえ「おめでとうございます♪」と看護婦さんから声を掛けられた僕は、不安と喜びが入り混じった複雑な笑顔で会釈していました。 ![]() つづく ↑長女誕生から一年半……、僕は29歳。(2004.10.15) そうです、長女(陽菜)が生まれてから一年半も経ってしまいました。 陽太はもうすぐ4歳、陽菜も一歳半(そのまんま)、そして僕は30歳目前。 この仕事は土日祝も関係ないので、なかなか遊びに連れてやれないけど、 写真をはっつけて、せめて脳裏に焼き付けておこう・・・ この一年半振り返ってみると… ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 父ちんより。 30歳になりました。(2004.12.19) ![]() 前日祝いの18日。金メダルよりも嬉しい(?)、首飾りをしてもらいまして、 ![]() 画用紙にどんぐりをボンドでつけた手製モニュメントをもらいました。 クレヨンで書いたメッセージ付。なになに・・・?
・・・やるっきゃない。 なんだかよくわからないけど、 そんな気分になりました。 そう。一家の主として、その立場を再認識した誕生日でした。 さよなら20代、そして30代の幕開けといきますか! 陽太が4歳になりました。(2004.12.23) ![]() 陽太へ 4歳の誕生日おめでとう。 誕生日の23日は、朝から晩までみんな仕事していたので、 翌日の24日夜、こうして家族みんなで集まってもらって、祝いました。 大きくなって、陽太が一人でこのページを見ることができるようになったら、 この写真をよーく見てください。 それが一番大きな、何よりも大切な、みんなからのプレゼントです。 とおちん他一同より。 GWお出かけしました。(2005.5.6) おっとっと、すでに陽菜は2歳になっています。 兄のように、最近はVサインができるようになりました。 で、GWに愛知のポケモンパークへ行ったのですが、 ![]() なんだこの待ち時間っ!入場までに2時間かかったのに、また2時間待ち?んなアホな……ということで、結局乗ったアトラクションは、 1つだけ!!恐るべしGWの家族向けテーマパーク。 急きょ2日目の予定変更。 テーマパークは、もういいや、ということで、名古屋城へ。 ![]() わたくし、ちょっとヤケ気味です。テレビ塔や名古屋城の天守閣は楽しかったのですが、テーマパークで懲りた?方が名古屋城に集結したみたく、ここも大混雑。 徳川園に寄る予定もヤメにして、大阪へと帰宅す。 ![]() でも、一家そろっての旅行だから思い出に残りました。 疲れも、それ相当に残ってますけどね。ハハハ…… GWお出かけしました。(2006.5.3) …………上の日記から丸一年が過ぎて、陽太は5歳、陽菜は3歳になってます。 今年のGWは関西サイクルスポーツセンターだっ! ただ自転車乗り回すだけじゃないぞ、宿泊バーベキューキャンプ付きだ。 非アウトドア派の私がこの決定を下した理由は、「子供達のため」。 普段父親らしいことをできていない罪滅ぼしも兼ねて、と考えていたのですが…… ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 陽太がコマ無し自転車に乗れたのは、実はこの2日前だった。 子供達は毎日どんどん成長してゆき、僕は嬉しさと戸惑いの毎日。 「GW?家でゴロゴロしときたいなー」と最初に思ったのはさておき、 「仕方なく、子供達のために」と冒頭で述べたのは大きな間違いかも。 「親である自分も、日々成長する子供達から何かを感じ取るために」、 これからはそんな気持ちで家族仲良くお出かけしよう。 次のまとまった休みは、8月のお盆かな? どこへ行こうか、でも考えるのは面倒だなー(←やっぱり進歩してない) つづく ↑あれから1年後のGW……、僕は32歳。(2007.5.5) ………またまた上の日記から丸一年、陽太は6歳、陽菜は4歳になってます。 今年のGWは、兵庫県の東条湖おもちゃ王国だっ!テーマパークや遊園地は この二年間の混雑で懲りたはずなのに、なんで行く?なんて聞くのは野暮です。 しかも今日は5/27、あれから3週間経過してからの日記なので記憶も危ないぞ。 で、GWの前の日、ヒナ愛用のアンパンマン自転車がつぶれてしまった。 もう、修理不可能なので、お店の人に引き取ってもらうことになったのだが、 ![]() と大泣き。さよなら、アンパンマン…… 気を取り直してもらうために、近所で助かる「大阪城」へ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 6歳と4歳、まだまだ親の言うことはちゃんと聞いてくれるし、 大人からすればたいしたことでないものも楽しんでくれる。 そんな今の時期は多感で、いろんなものに触れ、吸収してほしい。 100%の力で物事を楽しめる時期は、そうそうあることではないから。 そしていずれ大人に、いや今の時代、中学生にもなれば一つや二つ、 本人にとっては深刻な悩みも出てくるでしょう。 そんな時、こうした思い出をパワーに変えて、乗り切る力になってくれたら。 最近は、そんなことを思う私でした。 ということで、おまけ画像。 ![]() ![]() ↑GWから早や半年……、僕はもうすぐ33歳。(2007.11.3) 世間一般では、スポーツの秋、読書の秋、運動の秋ということですが、 普段と変わらず「仕事の秋」に軽くブーイングされ、出かることになりました。 陽太は6歳、陽菜は4歳です。 行ってきましたのは、同じ大阪と聞いて驚きの「南楽園(音出ます)」さん。 みかん狩りで有名とのこと。「狩り=取り放題」と思った僕は恥を知るべし。 ま、家内をはじめ、チビたちもスポーツより「食欲の秋」のようでしたが。 というわけで当日は快晴のスタート!いってみよぉー ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() たまの休日、しかもお出かけとなると、「…どこへ連れていってやろう」と その数日前から、「検索」を始めるのですが、 「ここはイマイチやな、もっとイイとこないか」と欲張っていくと、 机の前でPCをにらんだまま数時間が経過してしまいます。 「おいおい、仕事よりも疲れるわ!」 なんて思うところも正直ありありでしたが、 毎度のことながら、寝顔を見れば 「ま、仕方ないか」 なんて思う今日この頃です。 そんな偉そうなこと書いてますが、 そのうち、「な、どこか行こうか?」 って言っても、 「ええわ」 の一言でボツになる日が来るのでしょう。 くわばらくわばら…… きっと、つづく。 って書いて気づいたけど、そうそう、 その前に、5月末に3人目が生まれたのでした。 ![]() それを先にアップしろ!と独りつっこみ。 またそれは近日中に…… まさか半年後じゃないだろうな。 つづく。 ↑から2ヶ月……、僕は33歳になりました。(2008.1.4) というわけで陽花(ハルカ)が昨年の5/29に生まれてから約7ヶ月。 陽太は7歳になって、陽菜は4歳です。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() というわけで、いつのまにやらコドモも3人となりました。 ヨウタ、ヒナを見ていると、子供が大きくなるのは、 本当に「あっ」という間だと、身にしみて分かります。 正直、「いつまでもこれくらいの子供でいてほしいなー」なんて 思うところもありますが、一日単位でその成長が分かる毎日。 過ぎ行く時間には逆らえないけど、3人目のハルカは、そうした 「子供に対する」親としての純粋な思いを再認識させるような存在 になりそうです。 ・・・って偉そうなこと書きましたけど、 相変わらず育児のほとんどは家内に任せきりな僕。 男女同権?の時代から見れば「バランスわるぅー」かもしれません。 嫁さん、ほんとすんません、子供は4人おると思って我慢ください。 きっと、つづく。 ↑から4ヶ月,今年のGW……。(2008.5.22) ![]() 陽太は7歳、陽菜は5歳になって、陽花はもうすぐ1歳です。 2008年のゴールデンウィークは、長距離ドライブで富士山へ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() というわけで、チビが3人、しかも0歳児もいるとなれば急病で 旅行のキャンセルもあり得ると心配していたけど、 結果的にみな楽しく過ごせたことに感謝です。 富士山からの帰り道、抜けるような青空と新緑の中、 中央道を一定の速度で走っていると、あることを思い出した。 「幸せとは、ずっとその状態が続いて欲しいと思うような、そんな状態のこと」 っていう、遠い昔に何かの本で読んだフレーズだ。 運転中の僕は、ちょうどそれに当てはまる状況だったかもだ。 これは日々の生活の中の、ちっぽけな幸せかもしれない、 でも僕はそれに少し付け足したい。 「そしてあと何回、いつまで続けることができるんだろうと不安に思う状態」 と。 ……おっ?なんだなんだ、柄にもなくセンチになってしまいましたね。 というわけで、今度の休みは「お盆」か。 それまで、懸命に働こう。 家族のために働こう。 自分のために働こう。 そして、幸せのために働こう。 ……だからセンチはやめれって。 きっと、つづく。 | |
株式会社KISグループ社 インターネット支店代表 一色義雄 プライベート・ミニ日記−頑張れ!!父ちん日記 |